大相撲を引退した力士が、なぜサウナ施設の経営をセカンドキャリアに選んだのか? 現役時代は大翔龍のしこ名で土俵に上がっていた竹内太一さんは2024年11月、埼玉県川越市に「サウナ横綱 」を開業しました。サウナ横綱は、“相撲”をコンセプトにした飲食店併設のユニークなサウナ施設で、サウナ室は日本の国技である相撲の稽古場をイメージしたもの。和の要素を取り入れながらも、本格的なフィンランド式サウナのこだわりが詰まっています。
前回記事では施設全体を、食事処も含めて詳しく紹介しました。「サウナ横綱」2回目となる今回は竹内さんのインタビューをお届け。サウナとの出会い、サウナへの思い、開業に至るまでの経緯、これからの目標などをじっくり語っていただきました。
また、サウナ横綱は12月12日(木)発売のSAUNA BROS. vol.9にも特集「日本のサウナ。継承と革新」として掲載しています。WEBとあわせて、本誌もお楽しみください。
相撲部屋への誘いに「人生は一度きり。やってみよう」
──先ほど施設をご案内いただきました。日本の相撲文化とフィンランドの温浴文化が融合した、かなりユニークな施設ですね。駅から近くて、利便性が高いのも魅力です。しかし竹内さんは川越の出身というわけではありませんよね。引退した力士が店を開く場合、生まれ育った故郷を選ぶことが多いと思いますが……。まずは相撲部屋に入門することになったいきさつから教えてください
出身は大阪府東大阪市です。母親をはじめ家族や親せきとつながりがある神社が京都にあって、夏にはそこで相撲部屋が合宿をしたりしていました。「面白そうだな」と思って小学生のころから見学に行っていて、中学2年生の終わり、3年生になる前に「卒業したら(力士になるのは)どうだ?」と関係者の方から声を掛けていただいたんです。
──当時から体は大きかったんですか? あるいは何かスポーツ経験があったとか?
体格は良くて、普通の中学生よりも大きかったです。身長は今とそれほど変わらず170cmくらいでしたが、体重は100kg近くありました。スポーツ経験はとくになく、ちびっこ相撲をちょっとかじっていたくらいでした。声を掛けていただいたのは突然で、予想もしていなかったので「いや、勉強が……」なんて言ってごまかしました(笑)。ちょっとこわい気持ちもありましたので。しかし、じっくり考えてみたら、興味がわいてきて「人生は一度きり。やってみよう」と、お世話になることにしました。
──それで追手風部屋に入門し、力士として16年間活躍されたのですね。現役時代を振り返ってみてどうでしたか?
17年近くお世話になりましたが、ケガが多かったですね。15歳で入門して、しばらくしたところで首を痛めて、体の半分にしびれが出るようになってしまいました。足の靱帯を切ってしまったこともあります。20代になってからも、ケガが絶えませんでしたし、首のケガのよるしびれをずっと引きずっていましたね。状態が悪いときは食事の際に箸が持てませんでしたし、稽古もだましだましやってケガと付き合いつつ、なんとか折り合いをつけて土俵に上がっていた感じでした。
──休場するというわけにはいかなかったのですか?
休場したのは1場所だけです。幕下上位になると取り組みのひとつひとつが大切になってくるので、休むわけにはいかない。番付への影響を考えると、休場する方が勇気がいるんです。試合時間内に技をかけあう柔道や何ラウンドも戦うボクシングなどとは違い、相撲は一発勝負ですから、ケガをしていても勝つことがあるんです。逆にどれだけ稽古していても負けることがある。そういう世界で、心技体でいえば、やはり心が一番重要。それでケガをしていても休まずに出続けていました。
稽古を重ねることが自信につながる
──稽古ができなくて不安を感じたり、土俵に上がるのがこわくなったりしたことはなかったのでしょうか?
自分は思うように稽古ができないのに、対戦相手は毎日きちんと稽古している。そう思うと、やはり不安になりますよ。相手はどう出てくるだろうか、なんて考えるようになったらもう負けです。稽古をしていなくても勝てることはありますが、やはり日々しっかりと稽古を重ねていることが自信につながります。気力が充実して「どんどこい!」という気持ちになれるのです。一発勝負で、ケガをしていても稽古不足でも勝てることはあるものの、毎日戦い続けるのはきついし、勝てる確率は間違いなく下がってきます。稽古したいのにケガをしていてできない自分がいることは正直つらかったですよ。とくにサウナの良さを知るまでは。
──サウナに入るようになったきっかけは何だったんですか?
親方に連れて行ってもらったのが最初ですが、正直熱いし、好きではありませんでした。稽古もしんどいのに、なんでこんなきつい思いをしなければならないんだ……と、嫌々ながらついて行っていました(笑)。それが変わったのが負け越しで場所が終わってしまった日のことでした。あと1勝すれば勝ち越しというところで星を落としてしまった。悔しくて落ち込んでいるときに、また親方にサウナへ連れて行かれて、いつもより長く入っていようとサウナ室で我慢していたら、悔しいより熱いが勝ってしまった。そして冷たい水風呂に入って、休憩していたら……あれ? 悔しい気持ちはどこ行った? みたいな。気持ちを入れ替えてまたがんばろう、と前向きに思えるようになったのです。そのときですね、サウナって最高だな、と思えたのは。
──サウナの良さに目覚めた瞬間ですね。自ら好んで積極的に入るようになったのはそれからですか?
そうです。サウナの良さに気付いて、これを習慣にすることに決めました。気持ちいいし、ストレス発散になる。それだけでなく、コンディションが良くなったし、とくにうれしかったのが睡眠の質が上がったこと。首の痛みで寝付けないことが多く、眠っていてもしびれを感じることがよくありましたが、サウナを習慣化したら、ぐっすり眠れるようになったのです。稽古するときの集中力が高まり、メンタル面の切り替えをスムーズにできるようになって、幕下上位一桁まで番付を上げることができ、日本相撲協会に世話人(※)として残る権利を得られました。間違いなくサウナのおかげです。
※世話人とは、相撲用具の運搬や管理など、主に会場周りのお膳立てをする相撲部屋の役職。年寄名跡を取得できなかった十両・幕下の力士が相撲部屋を通して推薦され、引退後に相撲協会に雇用される
サウナに目覚めて番付が上がった
──サウナを習慣化してからは、どのくらいの頻度で入られていたのですか
場所中はほぼ毎日です。それ以外は2~3日に1回。一番よく行っていた、いわゆるホームサウナは「湯乃泉 草加健康センター(以下、草加健康センター)」(埼玉県草加市)でした。追手風部屋は草加市にありますから。サウナの良さに目覚めたのが19歳で、すぐに三段目筆頭(※)に昇格して、上の階級の幕下の力士や関取と一緒に稽古をさせてもらうようになりました。それからずっとお世話になっています。
部屋から歩いて行くのにはちょっと遠いので、当時はみんなでタクシーに乗って行ったり、駅から送迎バスに乗せてもらったりして通っていましたね。自分はできるだけ混んでいる時間帯は避けるようにしていましたけど、今も追手風部屋の力士は草加健康センターのサウナに入っていると思いますよ。サウナのおかげだと思うのは、現役時代に番付を上げられたことだけではありません。引退を決意した後に半年間で90kgの減量に成功したこともそうです。サウナとの出会いで自分の人生は2度変わったと思います。
※三段目(さんだんめ)とは、6つある大相撲の番付上の階級(幕内・十両・幕下・三段目・序二段・序ノ口)で上から4番目。三段目筆頭とは、その中でもっとも地位が高い力士のこと
──引退を決意してからも現役を半年間続けられたのですか? その中で減量したというのは……?
番付が十両より上の力士は、あと1場所こなせば親方になれるとか、そういった事情がある場合を除いて、体力の限界というか、もうこれ以上の力は出せないというタイミングで引退します。しかし“若い衆”と呼ばれる幕下より下の力士は、場所が開催される東京、大阪、名古屋をはじめ全国各地に後援会の方などお世話になった方がいらっしゃいますので、ご挨拶に回るのです。通常は1年かけるのがほとんどですが、自分の時はコロナ禍で中止になった場所もあったので半年間で、直接お会いできない方には電話を掛けて、お礼を申し上げました。
それと、糖尿病を患っていたので、引退後の人生に向けてサウナと食事制限で痩せることを決意しました。結果的に90kgの減量に成功し、ヘモグロビンの値を下げて改善することができました。サウナを習慣にしながら、1週間毎日同じ時間に起きて、同じ食事をして、同じメニューの運動をこなして、同じ時間に眠る。その内容をすべてノートに記録して成果を確かめながら、やり方を改善していきました。この食事はいいな、この運動は痩せるな、と気付きを書き加えながらサウナに通い続けていましたね。
実体験として、16時間断食とサウナを組み合わせたらめちゃくちゃ痩せることがわかりました。結果的に血糖値が下がって、ヘモグロビンの値は健康体の人を下回り、インスリン注射と薬をやめることもできました。1年後の検査でも状態は良く、糖尿病専門の先生から「本を書きましょうよ」と勧められました。サウナ施設の開業を目指して、それどころじゃなかったので「落ち着いたら考えてみます」と、やんわりお断りしましたけど(笑)。
稀勢の里と白鵬も鏡を見て集中
──そのときにはもう、サウナ施設を開業するつもりでいたのですか?
そうです。自分はサウナが好きで、救われた。サウナのおかげで人生を良い方向に変えられたので、今度は自分がその良さを人に伝えていくべきではないかと感じたのです。また、自分のサウナへのこだわりをカタチにしたいという思いもありました。それで……