モイ~。
本日も祖師ヶ谷大蔵駅前にあるマイホームサウナ「自問自答」のととのいチェアに横たわりながら、この原稿をスマホでポチポチ書いています。
このスタイルで原稿制作していると、夏場は良いのですが、「自問自答」休憩スペースの室温が下がる今=冬場にサウナ→水風呂上がりのバスタオル姿で記事をスマホに打ち込んでいると、体が冷えて風邪ひいちゃうんですよね。水風呂あがりにちゃんと身体についた水滴を拭き取ってからリクライニングチェアに横たわっているものの、スマホでポチポチ原稿書き込みに夢中になって、気が付けば1時間くらいほぼ裸のまま(笑)。身体が芯から冷え切ってしまい慌ててサウナ室に駆け込むなんて感じです。年末は忙しくて疲労も溜まっていたのか、実は本当に風邪をひいてしまいました。
それなので、今この原稿はサウナ上がりに自問自答近くにあるドトールにて服を着た状態でパソコンに打ち込んでいます。
2024年も最後の月となる12月。歳をとる毎に一年のサイクルが昔のそれとはあきらかに違うスピードで進んでいますけど、今年は特に早かったなぁ。27年携わった川崎フロンターレを昨年末で退職し、気心知れた仲間とスポーツ設計会社・株式会社ツーウィルスポーツ(以下TWS)を設立。銀行からの融資やオフィスの契約、新しい名刺を作ったりもうバタバタ。まぁ、偉そうなこと言ってますけど、実際ここらへんの手続きの仕方を全く理解していない僕はノータッチでして、実務は全てTWSスタッフの恋塚と谷田部がやってくれました。僕は、ただただひたすら二人から言われた場所に行って、挨拶をして印鑑押したりサインしたり。「アマノさんにそういう機能は最初から求めてないから」とありがたいやら情けないやら二人から言われ「とにかくTWSの名前をしっかり外で売ってくる仕事をしてこい」と自分の特技を生かした活動(というか事務能力のない自分ができること)に集中させてもらいました(笑)。
10月からはスタッフも2名増えて現在5名体制。オフィスは渋谷に設けているのですが、オフィス内の蛍光灯は一切使用せず、怪しい間接照明と壁にはヴィヒタが吊るされてます。BGMには焚火やロウリュする音が流され、まるでサウナ施設の中にいるかのような仕事場です(笑)。このオフィスと契約したのも、レイアウトも僕がいないところで既に決定しており(笑)、僕はメンバーにすべてを委ねております、ハイ。「アイツ一応会社の代表だから、ちょっと喜ぶことをしてやろう」と考えたのか、出張からオフィスに帰って来たら僕のデスク横にパチンコ台が設置されていました(ワタシ、趣味がパチンコ)。なので、オフィス内はムーディーな落ち着いた雰囲気ながら、仕事の合間にパチンコ台でチンチンジャラジャラ気分転換してます。
お暇な方、タダでパチンコ打てますよ。ぜひTWSオフィスに遊びにきてください。
さて、2024年最後のサウナブロス連載の今号では、12月14日にTWSが企画・演出・プロモーションした【中村憲剛引退試合】についてその裏話をお伝えしたいと思います。
結果的に22,014人の観客を集め、多くのメディアにも取り上げられた引退試合イベントでしたが、準備は自分の人生の中でも相当上位にランクインする大変さでした。準備の過程でいくつもの障壁にぶち当たるのですが、その度に僕は、サウナに入りながら突破口を考え、精神的にストレスを抱えてると感じた時は、その内側からくるモヤモヤっとしたものを汗と一緒に身体の外側にブワッと吹き出させて解消。そんな生活を約一年繰り返して最終的に【中村憲剛引退試合】をプロモーションしました。今回は中村憲剛の引退試合をどうやって「ととのえ」たのか、その裏舞台をお届けします。
中村憲剛引退試合に関する裏話は既にfergus.jpというSNS媒体で取り上げられているので、こちらも合わせて読んでもらうと、より一層どんなことが皆さんの見えないところで僕ら裏方がアタフタしていたのかが分かるとおもいます。
なぜケンゴは “選挙カーに乗っていた” のかーー。カオスだった「中村憲剛引退試合」のあまりに長すぎた仕込み噺。
中村憲剛引退試合の全て|なぜ4年越しの開催となったのか?企画秘話を完全公開
引退試合は全くやるつもりなかった
川崎フロンターレサポーターの方や中村憲剛を好きな方はご存じだと思いますが、ケンゴは4年前の2020年J1シーズンを最後に既に現役引退をしており、2020年12月21日には「ONE FOUR KENGO」という引退セレモニーを実施しました。
通常、サッカー選手の引退セレモニーはシーズン最終戦のスタジアムで試合終了後におまけ程度に引っ付けて、当該選手が挨拶及び同僚や家族から花束を受け取って終了ってのがデフォルトでした。でもそれじゃあレジェンド選手の価値をしっかり示すことができないと考え、ケンゴの引退セレモニーに関しては「最終戦と別日」「試合でもないのにスタジアム貸切」「しかも有料」「アトラクション多めの2時間のショー」でセレモニーを組み、2020年11月1日の引退発表に始まり引退セレモニー当日を迎えるまでのプロモーションから、翌年には映画「ONE FOUR KENGO THE MOVIE」の全国上映などアフタープロモーション企画も満載で街やサポーターの中村憲剛への想い、当時クラブスタッフだった僕のケンゴに対する感謝の想いも昇華させました。
実は引退セレモニー後に何人かのサポーターから「引退試合はやらないんですか?」と聞かれたりもしてたんですよ。でも僕の中では引退セレモニー実施を通して自分のイメージしていた空気感でしっかり【フロンターレ選手・中村憲剛】を送りだせていたし、ケンゴ本人もこのセレモニーで現役には未練なく次のステージにむかう気持ちに切り替わっていたので、既にここで完結していたんですね。なので、引退試合開催は全く考えていなかったです。
特に僕自身、「引退試合」がアスリートの最後を飾る舞台としてふさわしいと全く考えてなかったんですね。今までのいろんなサッカー選手の引退試合を見た時に、あの「わちゃわちゃ感」「エキシビション感」「おふざけ感」がどうしてもしっくりこない。
引退試合は公式戦ではないので、来場する方も相手とガツガツ火花散る、時には相手と小競り合いになる試合を求めているわけではないですし、ベストパフォーマンスを見せれないのは当たり前。特に現役引退から何年も経ち、セカンドキャリアを歩んで生活ルーティンが変わり、体型だって変わっちゃってるから「90分動き回れ!」ってのは酷な話ですよ。一番は引退試合に来場されるファン・サポーターの皆さんが笑顔で楽しんでもらえるのが重要なわけで、一般的に行われている内容の引退試合でそれを達成できるならそれはそれで別に間違いではないです、ハイ。
ただ、4年前の引退セレモニーでしっかり送り出せた、と感じていたケンゴに対して、この手の引退試合を組み込むことで新たに生み出せるものなのが何なのかが全くイメージできない。僕は自分がイメージできないのものは絶対やらないし、やったとしても良いものができる自信がないです。今まで周りから「突飛」「無謀」とか言われながら実施した企画、例えば【スタジアム内トラックにフォーミュラカーを爆走させる】とか【世界のスポーツクラブとして初となるスタジアムと国際宇宙ステーションを繋いで生交信】企画などは、実施した時の「画」が頭に浮かんで、どんな反響になるかも含めてイメージできるため、前例がなかろうが、周りから反対されようが全く意に介さず企画実現に向けて突き進むことができるんですが、「中村憲剛の引退試合」は全くイメージできなかったので開催する気持ちなど全くなかったですし、考えたことすらなかったです。
ただ、この僕の心境がガラッと大きく変わる出来事が突如として起きました。
それが、2023年末に実施された「中村俊輔引退試合」です。引退試合を実際に見に行ったわけではないんですけど、テレビニュースやYouTubeで見た中村俊輔さんのプレーがキレッキレだったんですね。俊輔さん代名詞のフリーキックも健在で、現役さながらの観客を「魅了する」プレーでした。もちろん90分間ずっとそんなプレーが出来ていたわけではないと思うんですが、僕がイメージしていたエキシビション感満載の引退試合ではなかったことに衝撃を受けました。「現役でなくてもここまで魅せるプレーを示すことができれば試合がピリッとしまるものなのだな」と。そして同時に「もし、中村憲剛が引退試合をするとなったら……」と考え、頭の中で企画イメージがブワーーーっと急に浮かんでいる自分がいたんです。今まで全然イメージできなかった引退試合の企画が一つ自分に腑に落ちることがあっただけでアイデアがあふれ出てくるというね。まっ、初めての経験ではなかったけど、俊輔さんのプレーひとつ見ただけで堰き止められていたダムの水が一気に放出されたかのような感じでしたね。
とは言え、別に中村憲剛本人に引退試合開催を相談されたわけではないんですよ。ただ勝手に「ケンゴが引退試合をするとなったらこういう仕掛けをする」というのが、考えようと思って考えてるのではなく、勝手に頭に浮かんでしまってしょうがない、という状態だったんですね。
実は一度ケンゴからの引退試合オファーを断った
昨年末はフロンターレ退職もあり、相当バタバタな忙しい時間を過ごしていました。そんなバタバタ生活してたら過労で年末ダウンしちゃったんですよ。大晦日も正月三が日も寝込んでいて、布団で「ウ~~ン、ぐるじい」と唸りながら氷枕で頭冷やしてました。体を動かせず、ただただ体調を回復させるため布団に潜ってると、なぜか熱があって苦しんでる時ほど頭だけは生簀(いけす)の中の魚のようにグルグル勢いよく思考が回る。そしてなぜだか中村憲剛の引退試合のことばっかり考えちゃってました。ケンゴから企画オファーを受けたわけでもないのに!(二度目)。
そんな、寝正月ならぬ寝込み正月をしていた1月5日の昼、スマホの着信音が鳴りました。着信名を見ると「中村ケンゴ」の文字。新年の挨拶かなと電話に出て「もしもし、あけおめ!」と言うと、いつものケンゴの軽く明るいノリとは違い、ワントーン低い声で「どーもです」と。
あっ、あっ、ちょっと待て、待てこの感じ、前にもあったな―、なんだっけなーと既に経験したことのあるこのトーンの正体が何だったか出てきそうで出てこない。でも、以前この感じだった時、この後とてつもなくディープインパクトな話を受けた記憶があるぞ。少し構えた感じで「な、な何だよどーしたん?」と問いただすと、大谷翔平ばりのキレッキレ高速直球ストレート返答がピンボール気味にオレへ投げられました。
「引退試合やりたいんだけど」
へっ!?
「引退試合をやりたい」
もうね、ビックリというか少し怖かったですね。「ゾゾゾー」としました。
だって、この電話がかかってくるちょい前までずっと中村憲剛の引退試合について考えてましたから。そしてこのトーンの既視感の正体が何なのか思い出しました。
それは5年前、当時東京2020組織委員会で活動していた僕にケンゴから電話で急に呼び出され、今回同様直球ドストレートに「現役を引退する」と伝えてきたことです。あの時と一緒! 同じトーーーーン!! 5年前の「現役引退」と今回の「引退試合やりたい」。引退絡みは必ずこのトーンで伝えてくるわけねケンゴくん(汗)。
前述した通り、僕もケンゴも引退試合開催の意思はなかったし、ケンゴと引退試合について直近で話してもなかった。それなのに互いが同タイミングで引退試合開催について考えているなんて、双子のテレパシーとか、銀婚式を楽勝で突破して金婚式をむかえる半世紀以上連れ添った夫婦みたいじゃん! サザエさんでいうところの波平とフネさんじゃん!
少しオカルトチックな状況に慄きながら「い、いや実はオレもケンゴの引退試合についてちょうど考えていたところだったんだわ」と返しました。
ケンゴからは「アマノさん、オレの引退試合、やってもらえませんか?」とこれまた直球のリクエストを受けました。
ケンゴ本人乗り気ではなかった自身の引退試合開催に対し、気持ちが変わった出来事が2つあったとのこと。一つ目の出来事は、引退して2年経った2022年、ようやくコロナが終息しサポーターの声出しが解禁になったフロンターレホームゲームに行った際、サポーターがケンゴの応援歌を大合唱してくれたとのこと。2020年の引退セレモニー時は、コロナ真っただ中で、スタジアムには事前録音したサポーターの歌う中村憲剛応援歌を流したんですね。その時は、もうそれがスタジアムを盛り上げる最大にして唯一の方法だったのでケンゴ本人も「しょうがないこと」と捉えていたのだけど、実際にライブで自分の応援歌を歌ってもらった時に「もう一度自分がピッチに立った時に歌ってもらえたら」という気持ちが芽生えたそうです。
そしてもう一つの出来事が中村俊輔さんの引退試合に出たこと。ケンゴは俊輔さんから声をかけられ実際にプレーしたんですね。僕が感じたのと同様にケンゴも俊輔さんの引退試合の雰囲気の良さを経験して「あぁ、自分もやりたい」と思ったとのこと。
中村俊輔さんの引退試合は2023年12月17日に実施されたから、年末年始を挟み2週間強で気持ちが高まって僕に「引退試合やりたい」と言ってきたというわけです。
ケンゴが名指しで直接僕に「引退試合をお願いしたい」と言ってきてくれるのは本当に嬉しいことです。4年前の引退セレモニー「ONE FOUR KENGO」を僕が手掛けているのだから、本当に最後、中村憲剛の言わば「終活」も自分が手掛けたい。しかも僕自身も既に「中村憲剛引退試合」の構成を勝手に考え始めてたくらいですからね。
ただ、アマノは2023年末で川崎フロンターレを退職したわけですよ。しかも退職公表後、サポーターや地域の人、今まで関わった選手たち、本当に多くの人からありがたいことにフロンターレでの長年の企画実現、活動を感謝されてお別れしたばっかり。
そしてフロンターレ退職後はサッカーだけでなく他のスポーツ競技・団体の設計やスポーツを活用した街づくりなどを請け負う新会社を設立して新たな挑戦をしようと外に出たのに、退職前と変わらずまたフロンターレ関係の活動をするってのは、どう考えても違う。
それにケンゴの引退試合の開催権利はケンゴの最終所属クラブであり、現在ケンゴに対して「FRO(フロンターレリレーションズオーガナイザー)」という活動役職も提供している川崎フロンターレにあるはず。僕が27年間フロンターレに携わっていたとはいえ、言ってしまえば現在は「部外者」となった自分が「やります」と言える立場にいない。
それなのでケンゴには申し訳ないけど「引退試合に関してはオレのほうでは受けられないよ。ケンゴの意向は、オレのほうから現フロンターレのスタッフにちゃんと伝えておくから、現有クラブスタッフと引退試合をやりなよ」と自分の気持ちを押し殺して伝えました。
するとケンゴさんアッサリと
「それじゃ引退試合するの諦めます」と。
もうね、等々力スタジアム前にある「おそばカシワヤ」の定食についてくる味噌汁ばりに(※)味がアッサリ!(※インスタント味噌汁なんですけど、お湯を注いでもお椀の下に固まった味噌がお湯に溶けてなくて、味が信じられないくらい薄くアッサリ)
いやぁ~これはズルい! ズルいズルい! シャ乱Q風に言えば「ズルい男」!
引退試合開催したらケンゴの事を大好きなサポーターも川崎の街の人たちも絶対喜んでくれるし一生の思い出になる。それを自分が断ったことで実現できなくなるとしたら、オレ「加害者」じゃん! しかもオレもみんなが笑顔で幸せになる引退試合をみたい。でもそれが見れなくなるんならオレも「被害者」じゃん! って思いました。
ケンゴには「いやぁ~~ちょっと待ってよ。諦めるの早いでしょ。そうしたらやり方ないか一度恋ちゃん(2月に立ち上げた会社メンバーで元フロンターレスタッフでもある恋塚唯)にも相談してみるよ」と言って電話を切りました。
前代未聞の引退試合へ4つの柱をたてる
ケンゴと電話を切った後、すぐに恋ちゃんに電話してこの状況を説明しました。すると恋ちゃんからこれまたアッサリと「アマノさん、ケンゴから依頼されたのであれば立て付け的には引退試合の企画、演出やプロモーションは新しく立ち上げる会社で受けることができるよ」と言われました。実は恋ちゃん、会社を一緒に興すため僕と合流する前、中村俊輔さんの引退試合運営に携わっていて引退試合の運営方法を詳しく知っていたんですね。いやぁ~、今思えばこの恋ちゃんの経験がなければ今回僕らが携わることはなかったと思います。
要は、引退試合の主催はJリーグで、主管が最終所属クラブ。引退試合の興行・運営窓口は引退試合をする本人とその所属事務所にあるため、今回で言えば、ケンゴ本人及びケンゴ所属事務所・ケンプランニング(※ケンゴ本人が社長を務める会社)にあると! もしケンゴが引退試合の企画、演出、プロモーションを僕らの会社に依頼するのであれば、ケンゴの事務所から業務委託を受ける形で携わることが可能ということが判明したわけです。
とは言え、フロンターレを離れた立場で、しかも今まではフロンターレの活動一本に集中して自分のパワーを全て注ぐことができたけど、この時点で南葛SCのプロモーション部長を務めることも決定していたし、その他の仕事の話もいくつかあったので新環境で本当に納得のいく引退試合をプロモートできるかに正直不安はありました。
でも、立て付け上可能なことが分かった時点で、クッソ大変な壁がたくさん立ちはだかろうが自分の手でぶち壊してその先にある景色を見たい。相棒の恋ちゃんにも相談して「よし、オレ達で今までやったことのない前代未聞な引退試合をやっちゃおうぜ!」となりました。
「前代未聞」
辞書で引くと【今まで聞いたこともないような珍しいこと】とでてきます。
また補足で【大変なこと、あきれること】とも(笑)。そう、僕にとって大事な要素はこの補足部分の「何でそんなことやるの?」だったり「何でそんなことまでするの?」っていう、周りの人たちが予測不可能で頭の中が「??」になる予定不調和を生み出すことなんですね
僕はこの時点で現状行われている「引退試合」のコンテンツでテコ入れしたい4つのポイントは整理できていました。
その4つのテコ入れポイントとは以下になります。
①エキシビションマッチ一辺倒の試合内容ではなく、「真剣勝負」の要素を入れる
②試合時着用ユニフォームのデザインにこだわりストーリー性を持たせる
③「中村憲剛は一日だけでは語りつくせない」を合言葉に引退試合【当日以外】にも企画をぶち込む
④試合当日もピッチ内試合だけではなく、スタジアム内外で多彩なイベントを実施する
この4つのポイントは正月に寝込んでる時に考えていたことです。上記4項目を最大MAX、自分の納得できるものに仕上げられれば、今まで見たことのない「前代未聞な引退試合」に近づくだろうなと。
冒頭で記載した通り、中村憲剛引退試合のバックストーリーに関してはfergus.jpにて取り上げられており、③に該当する【当日以外】の企画=12月13日に実施された武蔵小杉駅「中村憲剛最後のあいさつ」に関してと、④に該当する【当日の多彩なスタジアム外イベント】の企画=「ブルーカーペット」はそちらの記事に詳しく出ていますので僕の記事では割愛しますね。
- ケンゴのキレあるプレーがみたい
4本柱の一つ目、①エキシビションマッチ一辺倒の試合内容ではなく、「真剣勝負」の要素を入れる、に関して。
現在デフォルトの引退試合形式は「元日本代表チームvs元所属クラブチーム」という構図なんですね。この形式で試合を行うと起こる事象として「(失礼ながら)既にあまり動けない元日本代表選手vsシーズン終わったばかりで身体が動く元所属チームの現役選手」となります。そうなると、もちろん元日本代表選手たちはあまり動けないから、会場を盛り上げるべく、「おふざけ」のほうに走ると。そして元所属チームの現役選手は身体が動くので、セーブしながら(言い方悪いですが、手を抜いて)プレーをする感じになります。
これも前述した通り、この形式が悪いわけでも盛り上がらないわけでもないです。ただ、45分×前半後半=90分間これが続くとどうしても僕的には「ダレる」感じがするんですよ。
これを解消するために思いついたのが、前半を「元日本代表vs元日本代表」、後半を「元所属クラブの川崎フロンターレvs川崎フロンターレ」でパキッと分けることでした。そしてさらに後半45分の中でも強度の高いプレー内容を観客に見せられるように【残り20分】だけ「ガチプレーTIME」と称してある程度の真剣勝負対決をしてもらおうと。この時間を設けることで身体が動く現役選手たちは本来のプレーを対峙する選手にそこまで気を遣って合わせることなくピッチで躍動してもらえると考えました。
ここで出てくる問題というか課題点が3つ。
1つ目が「相当な数の選手に参加してもらわなければならない」ことです。結局90分間で前半、後半違う種類の試合をやるので、前半プレーしてもらう「元日本代表選手」を2チーム、後半プレーしてもらう「OB&現役の川崎フロンターレ選手」を2チーム、計4チーム用意しなければならないと。
ウヘーー、これは大変……。
2つ目がユニフォームデザインを「2チーム分」考えなければいけないということ。
②の部分ですね。「元日本代表対決の前半」と「元所属クラブ対決の後半」のユニフォームデザインを用意しなければいけない。いけない、というか別に一種類でも誰も文句言わないとは思うんですよ。
でもそれじゃあ、
「おもしろくない」じゃないですか!!
最後、3つ目がケンゴは全ての試合に出場するので、最後の最後にセッティングされる「ガチプレーTIME」でも観客を魅了するプレーを示せる体力とコンディションを整えなければならないこと。
ケンゴは現役引退から既に4年が経過しており、もちろん体力、肉体は全盛期をキープできているわけではないです。でも、中村憲剛の凄さってあのスラっとした「細身」の身体から繰り出されるスルーパスだったり、巨漢の選手たちを華麗なパスワークでスルスルっとかわしていくテクニックだったりするわけです。そこに、サポーターは魅了されたわけです。引退から4年は経っているけれど、やはり「すげえ! まだ現役いけるんじゃない?」って少しでもほんのちょっとでもサポーターから思ってもらえるようなキレのあるプレーを披露してほしい。それは何より僕自身がその姿を見たい。
「ガチプレーTIME」の設定に関しては、かなーりケンゴと話し合いましたね。実際、44歳になったケンゴがどこまで魅せれるのか。でもここの設定に関して僕は、サウナに入りながら何度も考え、イメージして「試合にメリハリと会場の熱がグッとあがる時間を生み出すためには必要」と最終的にはケンゴを説いて実施にいたりました。
キングダム作者・原泰久先生にユニフォームメイン画をお願いした
4にも出てくるユニフォームデザインの話にいきましょうか。ここ、ケンゴの引退試合が今までの引退試合と一線を画すぞ、と示すためには絶対不可欠な要素でした。引退試合当日に大きなウネリを生み出すだすためには、引退試合よりももっと早い段階、だいたい3カ月くらい前には「発信の目玉」となる話題がほしい。多くの人が3カ月後の引退試合が楽しみになるようなもの、メディアにも事前に取り上げてもらえるようなデザイン。
実は1種類目のユニフォームのメイン画を「キングダム作者の原泰久先生にお願いしよう」というアイデアは早い段階の自問自答のサウナの中で決めていました。
理由?
「アマノが大好きだから」です!
原先生にメイン画をお願いする案の卵は既に8年前の2016年にありました。
2016年、川崎フロンターレは創立20周年を迎え、スペシャルイヤーの一大イベントとして僕は「宇宙」「JAXA」とのコラボイベントを実施しました。ただ、「宇宙」「JAXA」とだけのコラボ(だけっていう言い方は失礼か)だと、どうしても「遊び心」がないなと。そこで、僕が最後に加えた宇宙ピースが週刊モーニングに連載されている、僕の大好きな漫画「宇宙兄弟」だったんです。そしてこの夏のリミテッドユニフォームのデザインを、宇宙兄弟の作者・小山宙哉先生にお願いしたんですね。「宇宙服ユニフォーム」と題して制作、販売したこのデザインユニフォームは大好評で即完でした。実際に着用した選手たちからも大好評で、当時フロンターレのエースストライカーとして君臨した大久保嘉人からは「アマノさん、このユニフォームを一年間着用するレギュラーユニフォームにしてよ!」と言われました。
この時に「漫画家の先生×ユニフォーム」を実現しておりとても手ごたえがあったんですね。
そして漫画とのコラボ企画第二弾として僕は、この年の10月に実は実は……集英社本社に伺い、次の漫画コラボ案を提案しに行ってたんです。
その漫画こそが週刊ヤングジャンプに連載されている、僕が愛してやまない漫画「キングダム」だったんです。提案したイベントは「KAWASAKI NGDOM(カワサキングダム)」っていう
タイトルイベントです(ベタやなぁ)。
当時キングダム担当だった編集スタッフの方にアツ苦しい僕のキングダム愛と企画内容をプレゼンしました。
結果、NGでした。
理由は、作者の原先生の出身地は佐賀県で先生は地元のJクラブ「サガン鳥栖」を応援していると。地元クラブを差し置いて川崎のクラブの企画協力は難しいとの返答でした。
納得。大いに納得。
ホームタウン、地域密着を掲げているJリーグにあって原先生がサガン鳥栖を応援していることはとても嬉しいことだし、この理由を言われてはいくら企画実現にグイグイいっちゃう僕でも今回は納得の撤退をしました。
ただ原先生は中村憲剛本人とプライベートで繋がっており、サッカー話のやり取りはちょこちょこしているとケンゴから聞いていました。
そのため、2020年中村憲剛引退セレモニーの際に、原先生はケンゴのためにオリジナルイラストを描いた色紙を書いてくださり会場でもオーロラビジョンで先生のメッセージと共に紹介をさせてもらいました。
はい、話は引退試合のユニフォームに戻ります。
今回の引退試合は川崎フロンターレとしてではなく、中村憲剛個人によるもの。
クラブでの企画ならば先生が応援しているサガン鳥栖の存在があり、NGかもしれないけど今回は「個人」によるもの。2020年引退セレモニーの際にサイン色紙をいただけたのなら、今回のユニフォームメイン画の製作の話は可能性ゼロではないんではないか、と自分に良いように勝手な解釈をしました。これ、自分よがりの自己中で勝手な解釈も時には大事なんです。
この事をケンゴとTWSスタッフに伝え、「原先生にケンゴ本人からダメもとでお願いしてみよう」となったというわけです。
今回、ケンゴは自分の引退試合の話なので全てが自分事。企画提案したものに対して「言いづらいから無理」「そんな無茶なお願いできない」とかは、一切なかったですね。
原先生にケンゴから連絡をして直接お願い。すると何と何と! 原先生は「ケンゴさんが最後に着用するユニフォームのメイン画を担当させてもらえるなんてとても名誉なこと。やらさせてもらいます」とキングダムの連載が忙しいだろう中、快諾してくださったという!!
原先生には、「キングダムと同じ戦国春秋時代に中村憲剛が『武将』として存在したとしたら、当時のユニフォームにあたる『鎧・甲冑』を身に着けた中村憲剛はどんな姿になるか」をコンセプトにイラストを描いていただくお願いをしました。
原先生は、実際にキングダムの時代に中村憲剛が存在したとしたらを細かく考えイメージしてくださり、描いた鎧、甲冑デザインにも一つ一つコンセプトをもった最強な武将・中村憲剛を描いてくれました。
これは相当テンションと血圧あがりましたね。2024年12月現在で74巻まで発刊されているキングダム全てを所有する僕にとってはもう天国に登る気分でした。「ああ、ホウケンの大鉾で『フォン』って真っ二つにされてもいい!」って思いました。
原先生に描いてもらったメイン画は、映像監督で僕らTWSと仲良しなサッカー好きのチェンコ塚越くんにユニフォームレイアウトをお願いしました。チェンコくんは、僕がフロンターレ在籍時代、陸前高田で2016年に実施した「陸前高田スマイルフェス」のメインPV制作をしてもらったり、多摩川クラシコプロモーションとして2022年に実施した「東京カブストーリー」PVもチェンコくんにお願いしました。ざっくばらんに話せる仲なので、チェンコくんとはランチしながら、原先生の制作画を「ユニフォームというキャンパス内で思いっきり躍動するデザインによろしく!」とリクエストしました。
最終的に原先生メイン画が入ったユニフォームは【ケンゴダムユニフォーム】というどっかから訴えられそうなネーミングでJAPANフレンズ(元日本代表選手出場試合)で展開することになりました。あっ【ケンゴダム】って名前は原先生からちゃんと許可を取り、集英社からも了承得てますから、ハイ。
もう一つのユニフォームデザインは最初ティファニーにお願いした
さぁ、問題はもう一つ、KAWASAKIフレンズ(元所属クラブ選手出場試合)のユニフォームデザインを誰にお願いするか、どういうコンセプトにするかです。キングダム原先生メイン画の入ったケンゴダムユニフォームのインパクトに勝るとも劣らない企画ユニフォーム。
これはサウナ室の中で、額から頬を伝って顎先からポタポタと床に滴り落ちる汗を見つめながら、相当悩みましたね。
「漫画」とは全く違うジャンルでインパクトがあり、尚且つKAWASAKIフレンズが着用するのでフロンターレを想起させる「青」がメインカラーがいいだろう……。そんなことを考えながらサウナ室を出て水風呂に、ザッブーーンと入った時に、30年前、アメリカ留学時代の記憶がババッとフラッシュバックしました。僕はワシントン州立大学というアメリカの大学に留学していて、大きな休みがあった時はワシントン州最大の大都会・シアトルに遊びに行ってたんですね。シアトルにはジュエリーで有名な「Tiffany & Co.(ティファニー)」のお店があり、その当時「ビーンズ」という銀のネックレスが大流行。日本で買うと結構高いのでシアトルのティファニーのお店は日本人で結構ごった返していたんです。
日本にいる友人から「買ってきてほしい」と頼まれ、ジュエリー店など全く出入りしたことのない若かりし頃のアマノもこのビーンズジュエリーを購入するため並びました。
この購入した、ジュエリーを入れる箱の色がとても印象的で、緑なのか青なのか、その中間くらいのティファニーオリジナルのカラーが強く頭に残ったんですよ。そして今回何の脈略もなく水風呂に入った時に突然そのことを思いだしました。
そうだ!
「ティファニーにユニフォームデザインしてもらおう!」
ええ。まったくティファニー繋がりありません。でもまずは【登りたい山】が決まること、そして【その頂上から見る景色を想像して動き出す】。これが大事だと思ってます。
ケンゴやTWSメンバーには定例ミーティングの冒頭でこの案を話しました。
みんなポカーーンとしてました(笑)。
僕自身はティファニーとは、繋がりないのでフロンターレ時代からとてもお世話になっているラフォーレ原宿の社長・荒川さんに相談しました。荒川さんは森ビルの方なのでテナント繋がりで店舗ネットワークがとてつもない人です。「少し時間ちょうだい」と言われ、3週間後にはティファニー関係者に今回の企画案をぶつけてくれました。ス、スゲー荒川さん。
でも結果はNGでした。ティファニーは今季、プロ野球のジャイアンツとコラボしておりユニフォームデザインをティファニーが担当していました。ティファニーとして「チーム」とのコラボはあるが「個人アスリート」とのコラボは現状行っていないとのことでした。
結果は残念だったのですが、大事なのは考えた企画がイケるのかイケないのかモヤッとしたままにせず、「現状NG」ならNGでOKで、また別のやり方=山登りで言えば違うルートを探すことなんですね。何事も成し遂げるには【時間】が必要です。今まで仕事を一緒にしてきた人で「すげえな」って思う人は100%、活動のスピード感が半端ない! 判断も早いし切り替えも早い。逆に一緒に活動をしていてストレスが溜まる人はスピード感のない人です。これは会社や組織でも一緒で、やたら「会議会議」「確認確認」「調整調整」ばかりで全然前に進まない。これ、厳しいです。
今回のティファニー案は、別のルートを探して進めることをこの時点でやめました。理由はジャイアンツが既にコラボしていることですね。同じスポーツ界でティファニーとコラボしてる団体の事例があると知った時点で僕の関心ボルテージは一気にダウンしました。ひと昔前に議員の蓮舫さんの「2位じゃダメなんですか」発言が話題になりましたけど、ハッキリいいます。
「2番目じゃダメなんです!!」
誰かがやったことある道をなぞってもモチベーションあがりません。
ここでまたゼロから、KAWASAKIフレンズのユニフォームデザインを考えることにしました。
中村憲剛と陸前高田と菅野朔太郎
ティファニーデザインを早い段階であきらめたことで次の案を考える時間ができたとはいえ、ユニフォームを担当しているTWSスタッフ谷田部からは「案を早く出してほしい」と取り立てを受けていました。
またまたサウナ「自問自答」のサウナ室に入り次の案を考えていました。サウナ室のドアを閉めてラドルに汲んでおいた水をセルフロウリュして室内に備え付けられている15分の【砂時計】をひっくり返す。これが自問自答のサウナ室でのルーティンです。いつもいつもこのルーティンを別になーーーーーんにも考えず、ほぼ無意識の動作として行っています。
ただ、この時何のことはなく砂時計の上から下に落ちていく砂を見つめていたんですよ。
その時にバッと岩手県陸前高田市の砂浜を思い出したんですね。2023年、陸前高田にフロンターレのジュニアユース生を連れて行く企画があり、最終日に陸前高田で仲良くしている松本さんと高田松原海水浴場でやってるテントサウナイベントの視察に行ったんですよ。その時のことを思い出して、ハッと閃きました。
「ケンゴが大事にしてきた東日本大震災の被災地・陸前高田とケンゴの関係をユニフォームデザインに落とし込むのはどうだろうか」
「デザインはユニフォームデザイナーになる夢を持って陸前高田から上京している朔太郎にお願いするのはどうか」
「ケンゴが着用する最後のユニフォームを朔太郎が、一番最初に手掛けるデザイン」
引退試合はただ単に「楽しい」「面白い」だけでなく、中村憲剛自体を表現するような企画も入れ込むことが大事だなと思っていたので、この案が浮かんだ僕はフル●ンのまま、スマホを握りしめてすぐ恋ちゃんとケンゴに電話しました。2人とも「それがいい、朔太郎にデザインをお願いしよう!」となりました。
今回の中村憲剛引退試合の企画案に関しては、ホントにサウナで考えることが多かったです。今回つくづくサウナって「無」になる空間でもあり、「有」を生み出す場所でもある最強な場所だなって感じてます。
今号で引退試合をどうととのえたのか全て書こうと思っていたのですが、引退試合開催経緯と試合形式、ユニフォームデザインの話で1万文字超えちゃったので、前編後編に分けますね。次号では今回引退試合の【軸】となった「すしざんまい」が「けんござんまい」として大きなウネリ企画になった経緯、本当は現在僕がプロモ部長として活動している【南葛飾SC】の企画だったことなど裏話をお届けします。
それではモイモイ~!
天野春果(あまのはるか)
東京都出身。1993年からワシントン大学でスポーツマネジメントを学ぶ。帰国後は富士通川崎フットボール(現川崎フロンターレ)に就職。以降、”J最強企画屋”としてサポーターに愛されてきた。27年間勤めた川崎フロンターレを退社後、新会社Two Wheel Sports(略してTWS)を設立。代表取締役社長に就任した。
※天野春果連載「企画屋アマノ〜アイデアのととのえ方〜」はこちらから
自問自答 祖師ヶ谷大蔵店
■住所:東京都世田谷区祖師谷3丁目32−14 YAMATOYA BLD 1F
■営業時間:24時間営業
※男性専用、会員制のサウナ施設
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