およそ850年近く前(時代区分でいうと鎌倉時代です!)から伝わる蒸気浴=すなわち“日本古来のサウナ”を、現在も体験できる貴重な場所が山口県の佐波川沿いに存在します。
山口県防府市の「東大寺別院阿弥陀寺」の「石風呂」もその一つ。
毎月1度。第1日曜日に保存会の方々によって古来からの手順や様式を再現するかたちで施浴会が運営されているのですが……朝早くから薪を焚いて石をあたため、火を消して煙を追い出し「余熱」を味わう蒸気浴はフィンランドのスモークサウナと同じ原理! 実に気持ちよく、癒しにあふれた時間と空間なのです。
その心地よさをリポートした前回記事(←未読の方は、ぜひご一読ください)に続き、今回は第2弾の記事を、ご住職や「石風呂保存会」の方々へのインタビューを交えつつお届けします。
実は、同様の石風呂(もしくは岩風呂)と呼ばれる古式の入浴法を実体験できる場所は年を経るごとに閉鎖され続けています。それ以前に、現代まで継承されて来なかったものの方が圧倒的に多いのです。
なぜこの地には今も伝わっているのだろうか……。そのことを考えながらお話をうかがいました。
阿弥陀寺を建立した高僧は、奈良・東大寺の「大湯屋」にも深い関わりが
前回記事でも記したように、こちらの「東大寺別院阿弥陀寺」は文治3年(1187年)に建立された歴史ある名刹です。平安時代の末期にいわゆる「源平の争乱」によって焼失した大和国(奈良)の東大寺の再建のため、木材を求めてこの地に赴いた重源上人(ちょうげんしょうにん/東大寺の大勧進職にあった名僧)が創建されました。
この重源上人という方が、「お風呂」との関わりがとても深いお坊さん。
奈良の東大寺に「大湯屋」という建物があります。もともと仏教では、入浴は世俗のけがれを流し去り、身体を清浄に保つ行為として僧侶にとって大きな意味を持つものでした。また、僧が自らの身を清めるだけでなく、民衆にも病を防ぎ健康に過ごすためのツールとして湯屋を提供する「施浴」という慈善事業も行われていたようです。
実は、源平の争乱で焼失した奈良の東大寺の大湯屋を再建したのも、この重源上人ともいわれています。
「石風呂」と「湯屋」。2種の日本古来の“サウナ”が現存するという奇跡
さて。これも前回記事でも少し触れましたが、この山口県の「阿弥陀寺」にも……「湯屋」があるんですね。
この「湯屋」。つくりというか、仕組みとしては、この大きな窯で炎を焚いて……。
その炎で、清流から汲んできた水をこの大きな「鉄湯釜」であたためます。これ、ちょうど床下に埋め込まれているんですね。
そこから出る蒸気を男性用、女性用の2つに隔てられた「洗い場」と呼ばれる部屋に引き込んで浴びたそうです。
また、この「洗い場」に設けられた「石湯舟」に、ひしゃくで流し入れたお湯を(湯温が下がったら)直接、身体に浴びることもあったようです。
ざっくりといえば、これは現代でいう「スチームサウナ」ですね。
ちなみに奈良の東大寺の大湯屋や、やはり奈良にある法華寺の湯屋では床が木製なのですが、この阿弥陀寺の湯屋の床は石製で、きわめて珍しいそうです。
「重源上人は、東大寺の僧侶として、各地に別所、別院を建立された方なんですね。その一つがこの阿弥陀寺なんです。別所にはいずれも湯屋をつくって、『浴湯念仏』というものを民衆に教えられました」(阿弥陀寺・ご住職/林寛孝さん。以下同)
――「浴湯念仏」とは、入浴しながら「南無阿弥陀仏」のような念仏を唱えるということですか?
「そうですね。入浴しながら念仏やお経などを唱えなさい、と。お湯や蒸気を浴びることで、身も心も気持ち良くなるだけでなく浄化もされるということですね。
それとともに、この地域に石風呂を広められました。重源上人は東大寺再建のための大木をこの周防の山々から切り出し、佐波川を経て海へと送り、奈良に向けて運び出すという使命をもってこの地に来られたのですが……何しろ数十メートルの大木ですから、作業にあたった人々も大変なわけです。
ケガや疲労も相当なもので、それを癒してもらう場として石風呂を各地につくられました。それでこの佐波川流域には60カ所以上の石風呂ができて、今もいくつかは残っているんですね」
石風呂は地域のコミュニティー。より民衆に寄り添う“場”だった
――すると「石風呂」は「湯屋」よりも、さらに民衆の方々のための施浴施設という意味合いが強かったんでしょうか?
「それについてはあまり断定的なことは言えませんが……ひょっとすると人々にとっては、おっしゃるように湯屋よりも石風呂の方が身近だったかもしれませんね。何しろ、数がたくさんありましたから。
ただ、その石風呂でも浴湯念仏は勧められたそうです。
それによって、利用される方は『自分さえ良ければいい』とか、そういった煩悩的な気持ちを持つことなく、みんなで力を出し合って助け合いながら仲良く過ごす……喜びを分かち合いながらいい時間を共有することができたようです。
保養や治療の場でもあり、コミュニティーの場所でもある……石風呂は、そういう、現在でいう『公民館』的な場所としても機能していたようですね」
――なるほど。たしかに「石風呂」にお邪魔して、そういう雰囲気をすごく感じました。
「皆さん、ここに来られて、石風呂であたたまるだけでなく、囲炉裏を囲んでおしゃべりされたり、お菓子を食べたりね。そういう意味でも、この地域では貴重な場にもなったんだと思うんですね」
近辺にはほかにも「石風呂」が点在! ムムっ、これは行かねば!!
――だからこそ、石風呂については「保存会」のようなボランティアの方々が、いまも焚き続けてくださっているのかもしれないですね。
「そうですね。今も毎回のように参加される方もいらっしゃるので、地域の方も喜んでおられますよね」
――「湯屋」の方は、現在は実際にお湯を沸かすことはないのですか?
「10年ほど前くらいまでは、年に一度、地域の子ども会の活動などもあって、昔からの伝統を伝えていこうと焚いていたんですが、子どもが少なくなってしまったことと、大量のお湯を汲んで運んだりということが大変なために、残念ながら現在は保存しているだけになってしまっています。ただ、後世に残さないといけないという思いから、現在も管理はしっかり続けていますが。
実は平成21年に大きな水害があって、この湯屋も石風呂も1メートル以上の土砂に埋もれてしまったことがあったんです。壁も落ちたりしてしまったんですが、皆さんの協力もあって、なんとか土をかき出して壁や柱も修繕して。とにかく貴重なものですから」
――そうだったんですね……。なおのこと、石風呂だけでも、現在も定期的に運営していただけることのありがたさが沁みます。
「本当にそうですね。薪や石菖などの準備もけっして簡単なことではないですからね。現在はお2人になってしまいましたが、保存会の山縣さん、清水さんには寺としても本当に感謝しています。
かくいう私も、今も時折、石風呂には入らせていただいているんですが、身体の奥底まであたたまって、本当に素晴らしいものだと思います。実施された翌日の朝まで熱が残っているので、以前、入られる方がとても多かったときなどは、翌朝に頂戴したりしておりました(笑)。翌朝まで、熱がしっかり残っていたものですから。
そんな石風呂については、阿弥陀寺のものだけでなく、『岸見の石風呂』(下写真)など文化財の指定を受けたり、現在も体験できるものが近隣にもいくつか残っております。それらも含めて、今後もずっと伝え続けていただければと思っております」