ご近所にあったり、利用料金もお手頃だったりと、私たちの暮らしにとても身近な存在といえる「銭湯サウナ」。その魅力をあらためて深掘りしていく特集シリーズ「GO!_1010-37(GO! 銭湯サウナ)」。今回は東京・西東京市の、ひばりヶ丘にある「ゆパウザひばり」を訪ねての2回目。
前回記事=<1>(←未読の方は、ぜひご一読ください!)では、環境省「平成の名水百選」にも選ばれた、この地域の豊かで恵まれた水脈について。そして男性浴室側、女性浴室側のそれぞれ異なる魅力を持つサウナ室について記しました。
そう。「ゆパウザひばり」は、男性浴室側にあるのがガス遠赤外線ヒーターを用いた高温&重厚な“熱”を味わえるストイックなサウナ室。
そして女性浴室側はオートロウリュ機能のあるロッキーサウナ=温度はややマイルドながら、ほどよい湿度とのバランス……いわゆる“セッティング”の妙によって、心地よい発汗を愉しめるサウナ室です。
どちらも快適ではあるのですが、アプローチがまったく異なるのです。
なぜサウナ室のタイプがここまで違っているのか。そして、どんな理由で男性側、女性側にそれぞれを配置したのか。気になりませんか?
後編にあたる今回の記事では、3代目である若旦那、広野一輝さんにもお話をうかがいながら、そのあたりの「真相」について触れてみたいと思います。
いや、「真相」なんて書いてしまうと、なんだかちょっと大げさですね。結論から言うと、根底にあるのはシンプルにお客さんのことを思うホスピタリティーなのですから。
聞き慣れない「パウザ」というワード。店名に込められた思い
さて。「ゆパウザひばり」がこの地に創業したのは1972(昭和47)年のことだそう。と言っても、当時はこのかわいらしい屋号ではありませんでした。
「富山出身の私の祖父母が、上京後にまず五反田(品川区)で『桐の湯』という屋号で銭湯を始めたんです。その後、このひばりヶ丘に同じ『桐の湯』という名で移ってきたのが昭和47年。この辺りには住友重機の大きな工場があって、その社宅に住んでいる方などに利用していただいて賑わったそうです。煙突のある、薪沸かしの銭湯でした」(広野さん。以下同)
ですが、1998(平成10)年に、隣接していた住居からの出火が原因で建物が半焼。
「そのまま銭湯をやめるという選択肢もあったんですが、“いや、やっぱり続けよう”と2年後の2000(平成12)年に今のビル型の形に建て直して。そのときに、2代目である私の父が今の屋号に改称したんです」
常連さんからの「銭湯、やってくれよ」との声に後押しもされたそうです。ちなみに屋号にある“パウザ”という語は、ラテン語で「休むとか休憩という意味」だそう。
以前は比較的、シンプルな構造だったそうですが、この改装時に現在のようなジェット風呂や寝湯などの多種多様な浴槽がラインナップされました。
「『湯』で、ゆったり休んでほしい。そういう思いなんですよね。ひばりヶ丘の人たちに」
初めて見たときには驚いたのですが、男湯にも女湯にも、湯船の底に小さな石が敷かれた「石足ぶみ」という一角があります。
「ほかの銭湯さんでも、脱衣所や休憩室に“竹踏み”とか足つぼを刺激する板みたいなのが置いてあるじゃないですか。たぶんあれと同じイメージで作ったものだと思います。やっぱり肉体労働の方たちには喜んでもらってましたよね。確かに、言われてみれば、最近の銭湯ではあまり見かけないですね(笑)」
南側に大きくガラス窓がとられ、日中は明るい日差しが入ってきます。(特に秋〜冬の、太陽が比較的低いシーズンには)その先の露天スペースも含め、浴室全体がとにかく明るく開放的な雰囲気に。そうした基本の設計も、おそらくは“パウザ”=「身も心もゆったりと休んでほしい」という思いのあらわれなんでしょうね。
「その2000年の建て替えの時に、今ある2つのサウナ室も造ったんですよね。当時としては両方とも、銭湯としてかなり大きい規模のものだったと思います」