”サウナのまち”豊後大野市は、なぜサウナなのか? おんせん県いいサウナ研究所・所長に山道を縫うように走って話を聞いてきました。熱い思いと冷静な分析は、サウナと水風呂のようでもありました。
1 LAMP豊後大野に来るまで
新卒で入った東京の出版社で10年働いて、2015年にWEBメディアを自分で作ってみようかなと思い、現在も所属する株式会社LIGに転職。
――出版の現場から、WEBの世界へ転職してみてどうでした?
いや、もう全く違ったんです。出版社で学んだ知識とかネタ探しとか、全く通じない。これはやばいなと衝撃を受けました。LIGはちょっと特殊なんです。普通だったら伸びやすい情報などのナレッジ系でもそんなに伸びなくて3000PVぐらい。それなのに、おもしろ系が10000~30000PVとかいくんですよ。でもその笑いが分からなくて。
――それは何が面白いのかが分からないということ?
そうです。ネットの笑いと、紙媒体での笑いや楽しさは全然違うことに気付かされました。だからもう本当に自分が出版社でやってきた10年は何だったんだろう……って思うぐらいの衝撃でした。それでもLIGでいろいろ経験を積んで、そろそろ自分で何かを始めるタイミングかなあと思っていたら、当時LIGが運営していたコワーキングスペース「いいオフィス」の支配人に「ケンさ、旅しながら仕事しない?」と言われたんです。大分県の移住定住のイベントを「いいオフィス」でやりたいという案件でした。東京で大分県の移住定住相談会をやって、大分への移住を促進するイベントで。当時、大分県がイベントの集客に課題を抱えていたのでLIGブログで募集することになり、記事作成のために大分県へ取材をしに行くことになりました。
その時に初めて大分県に来たのですが、大分県の観光地を回って記事を公開したら、3日で定員いっぱいになったんですよ。もう会場がいっぱいになるくらい来てくれたんです。
主に移住した方や大分の企業の方にインタビューしていたんですけど、その時、豊後大野出身の大分県庁の方に、この建物(現REBUILD SAUNA)に連れて来られて、「ここを大人の隠れ家とかにできないですかね」と相談されて。でも、その時は「ちょっと無理ですね」って帰ったんです。その後、なぜか僕がいない時に大分県を一緒に回っていたメンバーが大分県庁の方と東京で飲み会していて、そこで「面白いこと思いついたからやろう」ってなったみたいで……。それがここの前身なんです。
地方の仕事をいろいろとしていく中で、なんか地方はやっぱりいいよね、地方は情報を出せないから、情報発信しながら農業とかやるのってめちゃくちゃ良いよなって思ったんです。悠々自適で人が少ないし、ネットがあれば仕事できるから、などと考えるようになり、口に出していたんです。そうしたら「じゃあ(地方に)行くきっかけがあったら行く?」って会社に聞かれて、「いいですね、俺農業やりたいし」って言っていたら、会社が豊後大野でゲストハウスすることが決まり、迷わずに「行く」と答えたんです。
――そこはもうすーっと決まったんですか?
もう、す〜っと決まりましたよ。嫁に聞いたら、「楽しそうだから行く!」の即答でした。あと、理由としてはブラジリアン柔術のジムが大分市にあるからですかね(笑)。それこそ前の出版社の時代からずーっとやっていたんで、キッドさん(※山本キッド徳郁さん)のジムへ通ったり、後半は茨城の柔術専門のジムだったんですけど。こっちに柔術のジムさえあればいいと思ってたんです。そしたら大分市内にあることが分かって「じゃあいいか!」って。とにかくブラジリアン柔術やめることだけは嫌でした(笑)。
2 豊後大野で奮闘
――実際、来てみてどうでしたか?
最初は大変でした。本当に何もなくて……。テーブルだけですね。そのテーブルも最初は真っ黒の焼肉店のものだったんです。きれいに剥がした後に塗り直したらいい色になるんじゃないかな、と思って一生懸命手作業で手入れしました。ドリンクカウンターや受付カウンターも何もなかったです。内装は自分たちがイチから雰囲気作りしてきた感じですね。
――え、こっちへ来た時は……まあ家族は別として、スタッフとかは……?
社員は僕だけです。地域おこし協力隊のスタッフとして移住定住したんです。地域おこし協力隊って、結局出て行ってしまう人が多くて、地域に定着しないのが課題でそれを解決させるのも含めてスタートしたんです。スタッフとして働いてもらい、その地域の情報をLIGブログで出す。LIGで請け負って、そのスタッフたちをライターとして育てる……そうしたら地方で働けますよね。また、その上で、宿をやりながらLIGで情報を出してもらっていました。でも、なかなか大変で……。スタッフを採用するときも、すぐ出て行かれても困るので、やりたいことがある人だけを集めたら3人しか採用できなかったんです。しかも3人の中の1人は「やりたいこと見つけました」と2年で辞めてしまいました。今は豊後大野で、子どもたちのフリースクールをやっているんですけどね。
――地域に定着したんですね!
そうですね。うちに来ている協力隊は、これまで6人来てるんですけど、2人は現役です。他の4人も全員残っています。それぞれ家族もいて。そう考えると……10人以上は移住していますね。その結果があるから、こっちで市民提案型の共同事業という同じ年代ぐらいの人を集めて団体作って、“豊後大野カンケイ協会”っていうメディアを作ったんです。(https://bungoono-kankeikyokai.jp/)
――なんかすごい!
コロナの時もテイクアウトできるお店とかを、みんなで協力して出して「情報だけ集めてくれ! 俺更新するから!」って言って情報更新しまくっていた。そしたら、市役所から「もしよかったら(リストを)貸してくれませんか?」って連絡がきて、「自由に使ってください!」と伝えました。市がなかなかスピード感を持って動けないところを、メディアをやっている僕たちがカバーできるんだったら、その(市民提案型の)共同事業で、市がお金出す意味があるんじゃないかって。だから、災害とか起きたときも俺たちはいち早く動けるメディアを持っとくために、続けています。それで今も僕がサーバー代とかドメイン代とか払い続けてるんですけど、嫁には絶対これが役立つときが来るからって言っています。
あと市民がやってる情報とかを外に出すというコンセプトでずっとやっているんですが、最近は全然更新できてないんですよ。おんせん県いいサウナ研究所を始めてから全然更新できなくて。豊後大野のサウナのことを書きたいのですが、自分のメディアで自分のことを書くのがすごい嫌だなと。だから誰か書いてくれる人いないかなって思ってたりします(笑)。そんなわけで、なかなか更新されないんですけど……。でも今度、豊後大野のクラフトビールができるので、それは記事にしようかなとか思ってます。何かが新しくスタートするタイミングで自分に余裕があれば記事を書いたり、ゆるく更新しようかなというレベル感でやってます。コロナのときのテイクアウトできるお店のリストを提供したあたりから信頼を得て、市役所の方とか市長とかと直接お話させてもらって今の“サウナのまち宣言”に繋がっているのかなと思います。