原俊樹さんが語る「都湯-ZEZE-」の番頭になるまで・滋賀

滋賀県大津市、JR膳所駅および京阪膳所駅からほど近い場所で、1970年から続く銭湯「都湯」。先代が亡くなり長らく休業していましたが、2018年に「都湯-ZEZE-」としてリニューアルオープン。半世紀を超えて地元で親しまれてきた昭和レトロな店構えはそのままに、県内外から多くの人を集めています。

なぜ老舗の銭湯を引き継ぐことになったのか? 小さな町の小さな銭湯がどうやって売り上げを伸ばしているのか? 2代目番頭の原俊樹さんにお話を聞きました。



目次

銭湯継続の専業集団を率いるあの人との出会い

――そもそもどうして先代から「都湯」を引き継ぐことになったのですか?

京都の「サウナの梅湯」(京都市下京区)で、湊三次郎くんと出会ったことから始まります。

―― 2015年に後継者問題や経営悪化で廃業寸前だった「サウナの梅湯」を引き継ぎ、現在は銭湯継業の専門集団「ゆとなみ社」を率いる、あの湊さん(※SAUNA BROS.vol.7およびSAUNA BROS.WEBでも紹介)。

そうですね。たまたま出会って、「梅湯」で研修することになって。あれよあれよという間に「都湯」を引き継ぐことになりました(笑)。

――「たまたま」、「あれよあれよ」の部分は後ほどゆっくりお聞きするとしまして(笑)、「梅湯」に携わる前は何を?

大阪の吹田市で生まれ育って、前職は食品メーカーの営業職でした。

――それがまたなぜ銭湯経営に?

わけあってその会社を辞めて落ち込んでいたときに、大阪の南森町にある「紅梅温泉」(大阪市)に行ったら、ちょっとだけ気が晴れたんですね。銭湯の大きな湯船に浸かっていると、前向きな気持ちになれて。そこが今に至るきっかけといえば、きっかけかなと思います。

――もともと銭湯は好きだったんですか?

高校のときから風呂なしのアパートで一人暮らしをしていたので毎日通っていましたし、風呂付きに住むようになった会社員時代もちょくちょく行っていました。

なので「紅梅温泉」に行って以降も、大阪をはじめ京都のいろんな銭湯を回りながら将来について考えていて。「よし」と、一歩前に踏み出そうと思った矢先に、大阪府北部地震(2018年6月)が発生したんですよ。

――大阪府北部を震源とした巨大地震で、最大震度6弱を観測しました。

震源地の高槻市に住んでいたので、めっちゃ揺れて、9日間、家のライフラインが止まって。近所の銭湯に行ったら、僕と同じように困った人たちがたくさん来ていました。その時にお風呂ってありがたいな~と改めて感じましたし、銭湯って生活に密着した、世の中の役に立つ存在なんやなと再認識させられました。

よかったら2号店やってみませんか……?

――落ち込んでいた自身の気持ちも救われて、災害時も助けられて。

そうです。ところが、すぐに大きな台風が連続で来て、大阪の銭湯がパタパタと閉まっていったんですよ。

――中でも、台風21号は関西空港が水没するほどの被害をもたらしました。

地震でお世話になった銭湯なんて、お客さんがたくさん入っているし、まだまだきれいなのに閉めちゃったから本当に残念で……。仕事を辞めて時間もあったので、何か手伝えることはないかなと店主さんのもとを訪ねたら「心が折れてん」と。「僕にやらしてもらえませんか?」って伝えたんですけど、「知らんもんに貸されへんな」と断られてしまいました。

――当時から将来は銭湯をやりたいと?

いえ、そのときは本能的というか……「閉めさせたらあかん」と思って。気づいたら「もう1回やりましょう!」と言っていました。よくよく考えたら僕はただのお客さんの1人ですし、あちらからすれば「そんなん急に言われても」って話なんでしょうけど。

それでその足で、好きでよく通っていた「梅湯」に行ったら、たまたま湊くんがいたんです。帰りに外でバッタリ出会ったので、「初めまして」って挨拶をさせてもらって。

――そこが初対面だった?

湊くんはすでにメディアに取り上げられていて、僕の心が躍るようなイノベーションをしてはるな~と一方的に見てはいましたが、まったくの初対面でした。

でも、何度も「梅湯」に通っていて初めて会えたので“これも何かの縁やな”って、さっきの話をするともなくしたんですよ。近所の銭湯が今こういう状況で、こういうことがあって「断られまして」って。そしたらすぐにその銭湯を調べて、「ここは閉店させちゃダメです! 僕と一緒に明日交渉に行きませんか?」って言ってくれて。

――すごい展開。再交渉には行ったんですか?

本当に行ったんですよ(笑)。結局はまた断られるんですけど、こんなにもすぐに行動に移す、熱い人もおるんやな~って感激しました。

そしてその帰り、一緒にご飯を食べているときに「実は今、ちょうど2号店をやりたくて、滋賀県でもうすぐ契約が結べそうな銭湯があるんです。よかったらやりませんか?」と、湊くんから声がかかったんです。

読み方も分からない“膳所”に移住してみた!?

――と言われても、心の準備が……ですよね、普通は(笑)。

確かに最初は“ええっ!?”ってなりました(笑)。けど、ありがたいお話でしたし、湊くんとの出会いもあって“自分も銭湯経営をやりたい”と本気で思えたのでチャレンジすることに決めました。

――台風21号が9月5日の上陸で、「都湯」のリニューアルオープンが11月17日ですから、準備期間は2カ月半ほど。信じられないスピードです

湊くんとの出会いからすぐに「梅湯」に入って研修を受けながらノウハウを学んで。リニューアルの準備をして。縁もゆかりもなければ行ったこともない、読み方すらわからなかった膳所に移住することになりました(笑)。

――初めての膳所の印象は?

住んでいた高槻から電車で30分くらいで着いたので“案外、近いな~”と思って。失礼な話“滋賀”と聞いて、すごい田舎なんちゃうかな~と思っていたんですけど、そんなことはなかったですし、駅前から「都湯」に続く街の雰囲気も好印象でした。

――「都湯」はどうでした? 「梅湯」と比べると、こじんまりとしていますが。

大津は昔、その町ごとに1~2軒ずつ銭湯があったのでどこも小さめで、「都湯」くらいの規模の銭湯がたくさんあったと聞きました。

その後、この辺りの銭湯はここ1軒だけになってしまって。「都湯」も先代が亡くなられて2年と2~3カ月ほど閉まっていたんですけど、更衣室も浴槽もきれいに保たれていましたね。ご主人は続けたいと思いながら亡くなったとのことで。“誰か継いでくれる人はいないかな”と思いつつ、おかみさんが定期的に掃除やメンテナンスをしていたそうです。

――後継者がいなかったことから、やむなく休業していたんですね。

息子さんと娘さん、どちらも滋賀を離れて暮らしているため後継者がいなくて。それでも設備が痛まないように地下水を出し続けたり、掃除をしてくれていたおかげでリニューアルの準備が助かりました。

窯場にも入らせてもらったんですけど、「火は生きている」と書かれていたり、塩素を入れる時間が何十年も書き記してあったり、先代が非常にストイックな方だったことが感じられましたね。

――先代とおかみさんの気持ちもあって、引き継がれることに。

正直、お風呂も小さいですし、そこまで田舎じゃなくても京都とか大阪とはわけが違いますから、最初は“無理ちゃうか……?”って思いました。

でも、1970年の開業からこんなに長いてきたからには、この街にとって意味があるはずやし、お客さんそれぞれにストーリーもあるはずやし。僕のように近所の銭湯がなくなって寂しい思いをする人が大勢いるやろうし……と思って決めました。ちなみに、1回閉めた近所の銭湯は、湊くんと再交渉に行った後、ご自身で再開することになったんですけど。

リニューアルオープン当初は試行錯誤を

――決断してからは、急ピッチでリニューアルの作業を。

まずは、ボイラー釜を薪で沸かすものに変えて、昔ながらの古い番台からは更衣室が丸見えだったので(番台を境に男女が分かれる形式だった)、そこも改修して。開業当初の趣やあじわいはできるだけ残しつつ、11月17日にオープンしました。

湊くん的には、もともと2号店を修業の場と考えていて、完全に人に任すと決めていたようなので、オープンしたところで「あとは原くん、がんばってね」という感じでした(笑)。

――オープン後は、すぐにお客さんは戻ってきましたか?

京都の人気店になった「梅湯」の2号店ということもあって、オープンバブルで県外からも銭湯ファンが来てくれましたけど、地元のお客さんは少なかったです。常連さんからは「なんか昔と違うねんな~」と言われたりして、最初のうちは悩みました。

――飲食店でもよく聞きますよね。「代替わりして味が変わった」とか。

昔は44℃の結構な熱湯で有名やったみたいなんですけど、「ぬるい」と。でも、それには理由があって。調べたら、もとからあったアナログの温度計が壊れていて、設定と2℃くらいズレがあったんです。おかみさんによれば、ご主人は耳が不自由で。そのぶん第六感が研ぎ澄まされた方だったそうなので、もしかしたら温度計は必要なかったのかもしれませんね。

――現在の「都湯」は43℃ですね。

僕としては幅広い人が楽しめるちょうどいい温度かなと思い、42.5~43℃に設定したのですが、それで来なくなった方もいましたし、「知らない若い人がやってるなら行かへん」って、よその銭湯に移った方もいました。

――湊さんは「修行の場」と位置付けていたとはいえ、京都のど真ん中にある「梅湯」とは違って地元に根差した小さな町の銭湯。いざ、やってみると難しい部分もあったのでは?

当初はお客さんが1日40人も入ればいいくらいで、売り上げもやっていくのにギリギリ。僕のワンオペでやっていたこと、風呂で使う水が無料の地下水であること。薪で沸かす釜を選んだことで、燃料費が高騰する中、安く抑えられたことで何とか乗り切っていました。

企画、営業、戦略、マーケティング、すべて自分で

――そこからどうやって売り上げを回復させたのでしょう?

メーカーに勤務しているときは、社の方針に従って仕事をしていましたが、今度は自分で考えて、思いついたことを実行していかなきゃいけないなと考えて、銭湯自体のクオリティーを高めることはもちろん、ブランディングに力を入れました。

営業マン時代から広告関係の本とか読むのが好きやったんで、そのときに学んだことが役に立ちましたね。企画から営業、戦略、マーケティング、すべて自分でやりました。

――いわゆる「1人電通」ですね。

そうです! 僕、(「1人電通」という言葉を提唱した)みうらじゅんさんが大好きなんですよ。みうらさんは「自分なくし」と言っていますが、そういう意味で「都湯」は“自分なくしの銭湯”でもあります。

――大まかに言うと「今やっていることがやりたいことでなくても、自分をなくして夢中でやっていれば、それがやりたことになってくる」という、みうらさんの考え。

やりたいことではない……というわけではないんですけど、やりたいことなのかまだわからないから夢中になってやるしかないという感じで。まず、(企画やマーケティング時の発想の起点である)シーズ(Seeds=生産者目線)とニーズ(Needs=消費者目線)であれば、「都湯」はニーズを前面に打ち出すことにしました。

小さな銭湯でも経営が成り立つことを示せた

――具体的には何を打ち出していったんですか?

まずは、肝心のお風呂ですね。看板商品を作ろうと思って“「都湯」やったら何やろう?”と考えたら、水風呂やったんです。地下水を汲み上げたかけ流しの水風呂が、水質、温度(18℃)とも本当にいい。水風呂は1人用と小さいんですけど、そのぶん人が出入りしても温度が安定しているところも、お客さんから好評でしたので、そこに力を入れました。

――サウナはいかがですか?

排水溝がサウナの下を流れているんで、常にオーバーフローしてるからかな? 湿度が絶妙で。113℃設定にするとオーバーヒートして室温が120℃くらいになるんですけど、全然息苦しくないんです。それで毎日入りたいというご近所さんがサクっと温まれるような温度設定にしたら、温度と湿度のバランスもさらによくなりました。

――SNSやサウナサイトのレビューでは「高温のサウナ後の水風呂が気持ちいい」という声が多いですね。

手前みそですが、水風呂との相性は最高だと思います。お客さんからも直接「ここのサウナと水風呂はいいね」という声もいただくので、今後もよりよいものにしていきたいです。

――膳所は京都からは電車で10分ほど。利便性のよさも武器だと思います。

地元でずっと通ってくれていた年配のお客さんを大切にするのはもちろんですが、若いお客さんが増えるようターゲット層を20代~40代に設定して。YoutubeやSNSで情報を発信したり、企業さんとタイアップしてイベントを開いたり。こうしてメディアにも出たり。銭湯ってお客さんが来るのをただ待つ商売だったところ、積極的に仕掛けていきました。

そこから近所の常連さんに加えて新規の若いお客さんや旅行客、京都辺りから月に1~2度来てくれる“準常連さん”もだんだん増えていった感じです。

――オリジナルのグッズ展開も多彩です。

銭湯サウナの楽しみ方を提案したいと思って、いろいろと作らせてもらいました。サウナが高温なのでサウナマットやサウナハットを作って。サウナハットをかけるフックも付けて。銭湯ではサウナハットをかぶりにくい雰囲気もありますけど、どんどんやっちゃってくださいという感じです。

サウナハットは“サ旅(サウナ旅)”の方にはお土産にもなりますし、ほかのグッズもお客さんからの「こんなんほしい」という声を聞いているうちに増えていきました。今では銭湯の売り上げを超える月もあります。

――グッズにも描かれている看板猫のトタンくんも人気者になりました。

「みゃ~こ湯のトタンくん」(ミシマ社)という漫画にもなって、トタンに会いに来てくれるお客さんもたくさん。残念ながら今年(2024年)5月に亡くなりましたが、トタンには感謝したいです。今は自宅でハリ、チカ、スノコという3匹を飼っているので、いずれは誰かが看板猫として活躍してくれるかもしれません。

――リニューアルオープンしてから6年。振り返って思うことは?

いろいろやってきた甲斐あって、最初は40人いくかいかなかったお客さんの数も、ここ何年かは1日平均120人ほどになって。2021年5月には、湊くんのところから独立して、グループではありますが、僕が「都湯」の経営者になりました。信頼してもらって任された以上、こうした小さな町の小さな銭湯でも経営が成り立つということを示せたことに、まずはホッとしています。

――最後に、これからの「都湯」のお話を。お客さま目線でやってきましたが、今後の展開は何か考えていますか?

現時点でやれることはやってきたんで……なんでしょう? 平穏ですかね(笑)。「都湯」のモットーである「日々、平凡」、「日々、通常営業」。銭湯は僕の代だけでも向こう30年くらいやれる仕事やと思うんで、先代のようにストイックに、お客さんの声を聞きながら末永くやっていきたいです。

都湯-ZEZE-
住所/滋賀県大津市馬場3-12-21
営業時間/[平日]後3:00~深0:00[土・祝]後2:00~深0:00[日]前8:00~深0:00 
定休=木曜 
※年末年始特別営業:12月29日(日)~1月5日(日)は前8:00~深0:00 
料金/大人490円、サウナ+110円

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